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アート・トーク

藤井奎子さんのお話

アートトーク2011

20111110日 藤屋御本陳の藤井奎子さんがお話してくださいました。

 

 藤屋御本陳は、江戸時代に加賀百万石の前田家の御本陳として務めた宿です。明治以降も伊藤博文や福沢諭吉など目の肥えた各界のお客様をもてなしてきたのですが、2006年に旅館業からレストラン・ウエディング業に業種転換しました。歴史ある家に生まれ、その中での自分の役割を問いながら、信じる道を歩んでこられた女将。歴史を背負いながら、凛々しいだけではなく、和やかな雰囲気でいらっしゃいました。

 

 藤屋御本陳の現在の建物は長野市の登録文化財第1号として登録されています。これは、大正12年から14年にかけて、12代目が建設しました。12代(奎子さんの祖父)は中央通り拡張に尽力し、明治34年に市政が制定された時には市議会議員として公人としても活躍されましたが、同時に俳句、絵、音楽などに精通しており、藤屋建設の折には、デザインに大変こだわったそうです。工事は、善光寺仁王門を手がけた福井の宮大工師田(もろた)さんが担当しました。大正7年に行われた仁王門の工事では、当初の予定よりも金額がかかりすぎたのですが、師田さんは「いったん引き受けた以上手を抜く訳にはいかん」と、倒産覚悟の大赤字で完成させた経緯があり、その後、藤屋建設が師田さんに斡旋されたようです。

 

 藤屋旅館の全盛期は明治〜大正にかけて。著名人に贔屓にされた証が画帳(名前などを記入してもらったノート)に残されているそうです。

 奎子さんは戦後お生まれになりました。当時は家の中に病人が相次ぐ環境でした。3歳の時に父親(14代)を亡くし、その後叔父(15代)と母と弟を結核で亡くすなど、なにか家の中が暗い感じがしていたと言います。そこに16代の奥さまになる元気な女性が諏訪からやってきて、病人の多い所に良くお嫁に来たねと言われていたそうですが、奎子さんにとっては家の中がぱっと明るくなったような気がしていたそうです。


 戦後の藤屋旅館は、善光寺講や団体旅行客でにぎわいました。それが徐々に減り始め、新幹線開通後は、善光寺へ訪れる観光客も日帰りするようになり、この先どうしようかと考えるようになりました。

 

 業種替えの話が持ち上がり、17代になる息子さんは乗り気でしたが、奎子さんは400年続いた旅館業をやめることに納得するまでにおよそ2年かかったと言います。

 

 そして現在の藤屋御本陳の人気は確かなものです。より多くの人に開かれた場所になったと思います。奎子さんにとっては、若い従業員の方々が活発に動き回っていることや、元気よく挨拶してくれることに喜びを感じるそうです。また、旅館を利用された事のあるお客さまとレストランで嬉しい再会をするなど、つながりは続いているようです。

 

 奎子さんのお話を聞いて、女将時代の奎子さんが想像できました。お客様とのちょっとした心のふれあいに一つ一つ喜びを感じている奎子さん。人とふれあう度に、小さな花がポコ、ポコ咲いて、奎子さんの廻りにはいつもそれが漂っているような感じです。忙しくても、お客さんの気持ちに寄り添い、常に喜びの花を咲かせる奎子さん。私はこれを女将魂と呼びたいのです。

そして、奎子さんの女将魂は、永遠に不滅なのです。

 

日時:2011.11.10
場所:白蓮坊
ゲスト:藤井奎子さん

白連坊さんのお座敷にて 白連坊さんのお座敷にて

奎子さん 奎子さん

次回のアート・トーク

アート・トーク Vol.22

善光寺表参道ギャラリーライン
アートトーク2012
煎茶ワークショップ
〜煎茶の楽しみ・焙茶〜

日時:2月11日(月・祝) 14時〜
場所:ガレリア表参道
〒380-0832長野市東後町21番地グランドハイツ表 参道弐番館B1F
ゲスト:花岡 泉(煎茶道東阿部流 土田翠遊社中)

煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされています。

この頃、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わす、いわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まりました。

使う茶葉には玉露・ 煎茶・番茶と種類があります。

今回は、寒い季節に喜ばれる焙茶点前をご紹介します。

涼炉の火で茶葉を炒るとたちまち芳しい香りが室内に広がります。是非味わってみて下さい。


お茶とお菓子がついて、参加費500円です。(20名、要予約)

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